新宿の民。

新宿在住20代会社員が新宿の今を発信するブログ

新宿の総鎮守!十二社熊野神社に行ってみた

室町時代創建と伝わる、西新宿から歌舞伎町までを守る神社

 

都庁の西、新宿中央公園に隣接する場所に、緑に囲まれた神社があります。「十二社(じゅうにそう)熊野神社」。氏子町は、西新宿から新宿駅周辺、歌舞伎町までを含む範囲で、まさに新宿の総鎮守です。令和になってからの初詣に行ってきました。

f:id:urbanlife03:20190512002213j:plain

入口は新宿中央公園の西側にあります。もう新緑の季節。木々が生い茂っていて、気持ちがいいです。

f:id:urbanlife03:20190512002751j:plain

入口の鳥居から、ほとんどすべてが見渡せるほどコンパクトな境内。本殿の奥に見える高層ビルが新宿らしいです。神社の由緒を紐解くと、

十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州熊野三山より十二所権現をうつし祀ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祀ったともいいます)。鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祀官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祀りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀ったといいます。江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。また、享保年間(1716~35)には八代将軍徳川吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。”(公式HPより)

とのこと。開拓時代から、新宿の発展を見守ってきた神社なんですね。

f:id:urbanlife03:20190512005005j:plain

これは嘉永4年(1851)に建てられた「十二社の碑」。他にも、江戸時代の歌舞伎役者が奉納した大絵馬「七人役者図絵馬」や、同じく江戸時代に活躍した狂歌師の書による銘文が刻まれた水鉢「大田南畝の水鉢」など、境内には文化財が多く残っています。一方、もともとは隣接する土地に池や滝があり、風光明媚な場所だったそうですが、今はすべて埋め立てられ、見る影はありません。

f:id:urbanlife03:20190512010118j:plain

この神社、新宿区が発行している観光マップには掲載されているものの、新宿を訪れる一般の人はなかなか足を踏み入れる機会がない、、と思いきや、絵馬にはいろいろな国の言語が。さすがグローバルな街です。

f:id:urbanlife03:20190512010719j:plain

本殿に参拝した後は、新宿中央公園へ。公園とは直接つながっているので、ふらっと出入りができます。都庁や新宿中央公園を訪れた際は、この神社にも寄って、新宿の歴史を感じてみるのもいいかもしれません。

 

☞十二社熊野神社 詳細

住所:東京都新宿区西新宿2-11-2